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映像業界を渡り歩く中で得た客観視点

経歴

村上 倫弘

株式会社グランツ 代表取締役社長

1975年生まれ、横浜市出身。学生時代から映像制作に興味があり、海外渡航を経て1997年、映像業界へ進む。テレビ局にてバラエティー番組、報道番組、情報番組などの制作を携わり、広告代理店からの企業VP案件を多数こなした後、株式会社グランツを立ち上げ。少しずつ業績を伸ばし今年で15年目を迎える。

事業内容

テレビ番組や企業VP、CM、音楽PVなど、映像制作の企画、撮影、演出、編集までをまでを社内の体制で請負。他にも、電子書籍に映像を組み込んだ新しい形の出版物「映像書籍」や、遺言メッセージビデオの制作サービス「つたえびと」、ドローン事業、YouTubeチャンネルの運営と制作など、映像全般の多角的なサービス事業を展開している。

映像への想いとキャリアの選択

─現在は株式会社グランツで代表取締役を務める村上さんですが、以前は別の映像制作会社で主にバラエティー番組の制作に携わっていました。そこから独立し、自分の会社を立ち上げることとなった理由とは何だったのでしょうか。

村上:もともと僕は「自分の映像作品を世に出したい」という夢を持っていたんですよね。それで最初の会社に入って、少しずつそれを実現していったんですが、段々「もっと自分の好きな映像を」とか「もっと好きな仲間と一緒に」といった思いがよぎるようになってきて。でも今の会社に居続けたらそれは難しいなと思ったんです。

─そうして独立に至るまで、村上さんは色々な場で映像制作に携わってきました。映像制作を仕事としてスタートさせるための専門学校進学への選択肢。村上さんはどのような思いでその進路を選択したのでしょうか。

村上:映像を学ぶ為にっていうのも勿論あったんですけど、関係者へのコネやツテを作るということが、大切なのではないかと思っていて、僕には当時そんなもの全然なかったので。その甲斐あって、卒業の際には先生から制作会社を紹介されました。それでその会社の面接にも行ったんですが結局、就職自体「今じゃないな」と思って、一旦取りやめたんですよね。

─夢への一歩を踏みとどまらせたのは、このまま就職してよいのだろうかという思いでした。それは、村上さんが、学生時代にやっていたとあるアルバイト先の先輩との出会いとその影響が理由でした。その先輩は、世界中を1人で旅するバックパッカーで、その経験から生まれた広い視野や多様な価値観に、村上さんは強く憧れていました。当時の映像業界では常識となっていた、寝る間も休みもほとんどない過酷な労働環境だったので、就職すると時間がなくて海外にも行けない、日本しか知らない小さな自分のままで、果たして良い作品が排出できるのだろうかという考えが強くなり、就職に迷いがうまれました。

村上:自分も一度海外へ行って、それから就職活動をしようと決意したんです。理由としては、まず色々な価値観を学びたい、そこから自分のキャパシティや考え方を広げたいっていうのがあったんですね。それと、自分は1人きりで何が出来るんだろうっていうのが知りたかったんです。英語も喋れないような僕が1人で海外に行くとどうなるんだろう、そこで何ができるんだろうっていう。

─1年間の留学を決め、ニュージーランドに渡った村上さん。初めの3か月はホームステイをし、残りの9か月は各地を転々として様々な経験を積むことになります。

村上:結果として「日本だけにいたらダメだな」と思いました。世界のすごさっていうのは、やっぱり世界に出ないとわからない。僕は今でこそ仕事で色々な国に行くんですが、その度にこれってすごいな、とかこの考え方は面白いな、っていう新しい発見があります。そうすると今まで一つの見方しか出来ていなかったものが、思いもしなかった角度から見えてくるんですよね。

思考や行動の工夫で過酷な映像業界に適応

─帰国後、とある映像制作会社に就職した村上さん。下積み時代は、今では考えられないような労働環境で、毎日目まぐるしく変わる仕事をひたすらこなしていくことになりました。

村上:当時は就職1年目だったので、いくら辛くても「これが普通なんだろう」と思っちゃったんですよね。今ならインターネットとかで色々な情報にアクセスできますけど、あの頃は情報源が自分の体験だけだったので。色々恨めしく感じたこともありましたけど、今考えるとあの経験は大切だったと思っています。おかげで自分自身強くなれましたし、今の自分はその上に成り立ってるわけですから。年を取ってからの努力って辛いので、やっぱり若いときにやっておかないと。

─しかし、当時は夢だったはずの映像制作に携わること自体を辞めたくなってしまったこともあるそうです。そんなとき、村上さんは会社を変えることで映像制作に対する想いを失わないようにしていました。

村上:会社によってスタッフの扱いも、制作の仕方も色々違うんです。だから辛くなった時も「ここの環境は自分に合ってないんだな」という風に考えて会社を変えれば、映像制作そのものが本当に嫌になるって事はないですからね。あと「ちょっと休憩が必要だな」と思ったら1回辞めて、2、3か月何もせず過ごして、そこからまた就職活動を始めるということもやっていました。勿論、辞める前に自分が違和感を覚えていることについて相談はしますよ。でも、相談してから何か月経っても何も変わらないと、この組織って信頼して良いのかな?っていう風になってくるので。

─現状に違和感があれば、その都度はっきりと伝えてきた村上さん。そうして会社を渡り歩いた中で一つ発見したことがあるといいます。

村上:そういう相談への対応って、自分が会社からどの程度必要されているのか、ということの指標になるんですよね。会社も、必要としている相手からの相談ならきちんと対処するんですよ。だからそこでどんどん後回しにされてしまうようなら、自分は会社にとって重要な存在ではないんだっていうことが判断できるんです。

─独立までの6年間に4つの会社を巡った村上さんですが、中でも初めに就職した制作会社は非常に印象深かったそうです。

村上:僕は元々ドキュメンタリーを作りたかったんですけど、そこで主に作っていたのはバラエティーだったんですよね。労働条件の過酷さもあって、かなりキツくて。「3」っていうのがキーワードなんですよ。3分、3日、3週間、3か月。この周期でどんどん人が入れ替わっていくんです(笑)

─辛いながらも1年間続け、そのうちバラエティーの面白さもわかってきたという村上さん。しかし、やはりドキュメンタリーへの想いは諦めきれず、あるとき会社にその旨を伝えたそうです。しかし、しばらく待っても対応してくれる気配がなく、退職する決意を固めたといいます。

村上:「2、3か月後にやめます。そして僕はしばらく海外に行きます。もうチケットも取ってます」と伝えました。そしたら退職の1週間か2週間くらい前にようやく人が来て、なんとか考え直してくれないかって言ってきたんですね。だから、こっちはもうチケット取ってるんです、ずっと前から言ってたでしょって話になって。そういう会社だったんで、結局そのまま辞めたんです。

嫌なことを知ることでやりたいことが見える

─そういった経験もあり、現在代表を務める株式会社グランツでは「周囲の存在との信頼関係」がとても重視されています。そこには、村上さんが周囲の人間関係に恵まれてきたという実感も大きいそうです。

村上:僕は周りの人から色んなことを学んだり、助けられたりしてここまでやってきたので。そもそも、よっぽどカリスマ性がないと1人で何かを成功させるっていうのは難しいんですよ。尚且つそういう人であっても、そのカリスマ性を獲得するまでには誰かの支えがある。オリンピックのメダリストやノーベル賞受賞者のインタビューとかでも、周りのおかげでこの結果を出せたという方がたくさんいますよね。僕もこの14年間、1人の力ではやってこれなかったっていうことを理解しているんですよね。だからこそ「そういう人達の為に身を捧げるしかない」とも常々思っています。

─また村上さんは、若い人たちは「客観的に見て楽しいことをしたら良い」と考えているそうです。しかしそれは決して「楽しいことだけやっていれば良い」という事ではありません。そこには村上さん自身が映像業界に入ったとき、元々志望していたドキュメンタリーではなく、むしろ避けたかったバラエティーに携わることになったという経験が大きく関係しています。

村上:僕のキャリアはまず、やりたくなかった事をやるところから始まった。でも、だからこそ見えてきたものがありました。もしその時逃げていたら、それって今でも見えていなかったことだと思うんです。同じように、本当に楽しいことは、そうでないことを経由して初めて理解できる。だから辛い経験も必要なんです。色んな経験をしていって、勿論その中には辛い経験もあって、それを乗り越えた先に本当に楽しいことっていうのが見つかるんです。嫌なことにもどんどん挑戦していって、嫌なことについてきちんと知ってから初めて本当にやりたい事や本当に楽しいことが出てきて、それがなぜ好きなのか、楽しいのかということが頭で理解し、客観視できるようになる。それが大事だと思います。

映像への興味のきっかけと将来

─プロの映像業界に入り、辛い経験もしながら長年映像制作に携わり続けてきた村上さん。そんな村上さんが初めて「映像制作」というものを意識するようになったのは、小学校時代のある日、突如として家にやってきたビデオカメラとの出会いだったといいます。

村上:当時のビデオカメラってすごくデカいんですよ。それを父親がある時買ってきてですね。「このビデオカメラで撮ると、自分がテレビに映るよ」って言ったんです。でも子供だった僕は全然信じられなくて、「いやそんなわけないじゃん」とか思ったんですけど、疑いつつもビデオカメラとテレビをケーブルで繋いでみたら自分が映ったんですよ!まあ今考えれば当たり前なんですけど、当時はそれが衝撃的で。「なんだこれは!」と。そこから映像っていうものに興味を持ち始めて、成長していくにつれてそれを作るってことに興味が沸いてきましたね。

─子供時代にビデオカメラによる衝撃的な洗礼を受け、映像への興味を募らせていった村上さん。ジャンルを問わずひたすらテレビを見ていた高校時代、ある疑問から映像制作へと本格的に歩みだすことを決心します。それは「自分は何をするためにこの世の中に存在しているんだろう」という根源的な問いでした。

村上:結局その答えは見つからなかったんですよね。自分が何の為に生きているのかはわからない、だったらせめて、確かにこの時代に生きたんだという痕跡を残したい。じゃあ、映像を作って世の中に出すというやり方でそれを出来ないかと思ったんです。

─本格的に映像と向き合いだした高校時代から始まり、あらゆる環境や形態で映像制作に携わってきた村上さん。現在では株式会社グランツで様々なサービスや事業を展開していますが、この先のビジョンはどう描いているのでしょうか。

村上:将来的に「○○といえばグランツだよね」と呼ばれるような存在になっていきたいんです。例えば「遺言ビデオメッセージといえばグランツだよね」といったような感じで。数ある映像制作会社の中の1つではなくて、社会の中で何か確固としたイメージをもたれるようにしていきたいです。

──「○○といえばグランツ」。いずれそんな風に評価されるようにしたいという村上さん。自分の興した会社が、何かの代名詞になるほど唯一無二の存在になる。それはこれ以上にないほど確かな「自分が生きた痕跡」になるのではないでしょうか。

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